★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

いちばん近くて遠いひと56

タバコの話を。

 

成人してだいぶん経ってからタバコを吸うようになった。

ちょっとしたことで脳内にプチパニックを起こすわたしは、

逸る気持ちを諌めるために、緊張する場面に向き合う前に一服する。

深呼吸をして体勢を整える儀式のようなものだ。

 

付き合いはじめた当初、禁煙に成功していた彼だったが、

喫煙家のわたしに気を遣わせないように、と

再び喫煙を始めた。

食事の後や、外出時、部屋で映画を観ながらの

すぱすぱは、心地よく、彼が吸う人で良かったと思っていた。

 

そのうちに、加熱式たばこが発売されると

彼はそっちに移行した。

部屋や車に残るヤニや、匂いが軽減されるから、と半ば強引にわたしも加熱式にするように言われ、やむなく従ってみた。

 

アイコスから始めた彼がグローに寝返れば

言われるままにグローに代え、

同じ銘柄のタバコを選んで吸うようになった。

 

ところが

タバコの価格の度重なる高騰と、

喫煙家に厳しい規制がされ始めた頃

今度は彼から禁煙しようと言われるようになった。

 

わたしは不正脈持ちで、父親もペースメーカーを装着している。

タバコが身体に良くないことはもちろん承知している。

だからといって止めます、とはならない。

プチパニックを抑制しなければ、日々、今以上に事件が起こることが想定できるからだ。

 

いっしょにやめようよ、という誘いは

いつしか強さを増した。

 

ハナコみたいなひとは本来タバコを吸ってはならない。

共に暮らす相手がやめようとしたら

じゃぁ、わたしも、となるのがあたりまえ。

それでも吸いたいのなら、僕の分もわたしが買うから、とするべきではないか。

僕の禁煙がハナコのせいで失敗したら責任を取ってくれるのだろうね。

 

正直僻遠した。

タバコの出費はたしかに痛い。

けれどもこれまでそれを気にせずいた彼が

急に思い立ったからといって

説教込みで以後止めると言え!といわんばかりに煽ってくる、の、図に嫌気がさしたのだ。

 

紙タバコが臭い、悪だ、と言い始めた時には

充電なんか面倒だと思いながらも折れて

加熱式に代え、

本体が不具合を起こせば

ハナコの扱いが雑すぎるからだと嫌味を言われ、

アイコスが良い、と言われれば、はい、と

アイコスを使い、やっぱグローでしょ、となれば、グローですね、と合わせてきたのに、

トドメはヤメようって。

 

ならわたしは

ビールを飲まないから

あなたも合わせてそのビールをやめなさいよ

 

そう言うと

ハナコには僕以外に周りに人がいるでしょう。

僕にはハナコしかいないのだから

ハナコが僕だけをみていないのだから

ビールまで取り上げるのはおかしい、と返ってくる。

 

つまりは

わたしからは何を取り上げようが大丈夫だけど

僕からこれ以上取り上げるな、ということ。

 

彼は禁煙に成功した。

彼の前で吸うことが出来なくなったいま、

同じ部屋に彼がいるときには吸わない。

隣の部屋に移動して吸っては戻る。

 

おかげで本数は減り、わたしは望んだわけではない減煙に成功している。

 

彼はそのぶんビールの摂取量が増え

夜な夜な当たり前のように小さい缶を4本あける。

週末になると6本を越すこともある。

 

昨日今日と彼が動くたびに物音が大きく響く。

冷蔵庫の開け閉め。

食器を洗う音。

カーテンを力いっぱい引く音。

足音。

ビールを飲んではテーブルに戻す音。

それから大きく息を吐く音。

ツマミをガリガリ食べる音。

 

 

明後日から

在宅勤務がはじまる。

どうしたものか。

どこにいようか。

 

気が滅入る。