★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

避けようがない話

本を読み読み、片手間にスマホでニュースを読む。

 

過去、こんなことがあっただろうか。

縦に並ぶ記事のタイトルがみなひとつの話題。

凄いことになったな、とあらためて思う。

記事の合間に、ひょっこり現れるダイエット食品の広告や、熱愛報道の場違い感が半端ない。

多くの人が生死に関わる事態に畏怖する緊急事態に、ダイエットて。。ゴシップて。。

 

マスクが不良品だとか、ちいちゃすぎるとか、

似合わなすぎるとか、

文句や失笑が飛び交うなか、死者の数は静かに増えてゆく。

 

テレビで見かける政治家達の会議こそ

かなりの密だと思うのだが、

彼らは罹患しないという確固たる自信でもあるのだろうか。

なにより、正しいマスクの着用を誰も教えてあげないのだろうか。

口を隠しているのに鼻が出ている。。

 

5月の連休を過ぎて6月になると

会社の中の2年に及ぶ研修期間が終わる予定だった。

そこから先は半人前に毛が生えたような状態ながら自分だけで切り拓いていかねばならない。

通常なら、節目として、後に続く研修生たちを中心に、簡易的な祝賀兼送別会が催される。

そこを目標に、やってきたのだ。

もしかしたら到達出来ないかもしれない、と、危惧しながらも

どうにか勢いだけでやってきた。

 

ただ、これはもう、そういう星のもとに生まれてきた、としか言い様がないのだが、

幼いころから、

皆が順番に回ってくる事は、なぜか

わたしの番になると、横槍が入って中止になったり、通常とは違う形になったりする。

 

前回の先輩を祝っているときに、ふと

次回は自分の番だけど、さすがにこれは

恒例にならって無事終えられるよね。。

番狂わせとかないよね。。と、かすかに嫌な予感がしたのだ。

 

日本はオリンピック開催の権利を得て

歓喜に沸いたと思ったらまさかの延期になったわけで

それに比べれば、わたしの番狂わせなんざ

ノミくらいのもので

どってことはない。

密になるな、と自粛が続くなか、祝賀兼送別会はまずあり得ない。

中止ならばそれで一向に構わないのだ。

困るのは

異例となったときに、ご親切すぎる面々が

余計過ぎる気遣いをしてくれて

なんとか恒例にならった形にもってゆこうと

強引な手段に出た結果

主役であるはずの自分が、恐縮しながら方々に頭を下げるハメになることなのだ。

 

幾度も経験してきたアレがまたくるかとおもうと、自粛続きと沈黙大会で疲弊した心身に

とどめを刺してくれそうでこわい。。