★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

いちばん近くて遠いひと16

とても静かだ。

 

金曜の長すぎる業務を終えて帰宅。

今回の2人に起きた問題が勃発する前は

金曜にふたりで夕飯の買い出しに行き

土曜も日曜も買い出しに行って

日曜の買い出しで次の金曜までの食材の買いこんでいた。

 

わたしはかつては普通の主婦だったので

得手不得手偏りはあるものの、料理はできる。

その日食べたいものをその日に買い物して作る、というスタイルだった。

 

節約は大事だけれど

買いだめをしたところで、調味料やら衛生用品やら、ちょいちょい買い足しに走るわけで、

決めた日にしか買わない、は無理がある。

なによりわたし自身はお酒を飲まず外食も少なめだから食費に関してピリピリしなくて良いと考えているのだ。

 

冷凍したものを解凍して使うというやり方も

どうにも苦手。

冷やして固めたから鮮度に問題なし、と

思えないというか。

食材はストックなしで、使い回してもせいぜい2日だと考えてて材料を買っていた。

 

それがとても贅沢なやり方だと彼は言う。

もともと食に欲のない彼は

お腹が満たされれば毎食同じものが出てこようが、惣菜だろうが、冷食だろうが構わない人。

むしろ愛情手作り食が、研究を重ねたメーカー既製品に敵うわけがない、と力説してくるくらいだ。

 

だから買いだめをするとなると

お腹が満たされ、コストが良いことを重視する。冷凍餃子。カレー。シチュー。レトルト。

彩りや栄養価とか関係ない。

 

以前のわたしはこだわり派だったので

食器や料理の盛り付け、品数、時間が無くても妥協せず、家族に料理を提供していた。

それはなんというか、自分の存在意義を主張できる場であったように思う。

自分だけが提供できるサービスのようなもの。

 

彼と暮らすようになってから

食事は楽しみや対話のひととき、というより

単なるエネルギーチャージタイムとなった。

 

ローテーションしている夕飯は、10種類あるかどうか。レパートリーが少ないので

繰り返しカレーと餃子と焼きそばばかり食べていると感じる。

 

作り手は彼だったりわたしだったりするのだが

夜のバイトまでに食事と仮眠を取るため、

短時間にパパッと作って、さっと食べる。

 

わたしの存在意義はどこへやら。

最初の頃こそ

腕をふるうぞ、と張り切っていたのだが

ほどなく

彼は薄口わたしは濃い口という好みの差や

具材のチョイス、作る量、どれも

合わないことがわかった。

 

たとえば鍋の具材のひとつに

チクワを買い物かごに入れようとした時の事。

チクワは鍋の具材としてはおかしいと彼は言い、

練りものが特産の漁港生まれのわたしを驚かせた。

彼がおかしいとおもうのならば

どうしても!というほどにチクワにこだわるわけでなく、わざわざ買って鍋に入れない。

だし、これまでの経験から、チクワが入っているのがおかしいことではないのだ!と力説したところでわたしに良いことなんかなにも起こらないと悟っていたので、あ、そうなんすか、しらなくてごめんねーで済ませた。

 

にもかかわらず、以来、鍋の話になると

ハナコはチクワは鍋に入るものだというけれど

それがいかに一般的でないか、という話を

振っては、わたしをイライラさせた。

 

チクワの件は、ふたりで見ていたテレビの

クイズ番組で鍋にいれたい具材15食材にエントリーされたことで

わたしが一矢報いたところで終わったのだが。

 

そんなこんなで

料理は、わたしが彼に与えられるサービスではないのだと考えて以降、落胆はしたものの

彼に倣って食に頓着するのをやめた。

 

平日は簡素に楽に出来るもの。

週末だけ鍋をしたり、プレート料理をしたり

そういうスタイルが定着しつつあった。

 

ひさびさに

金曜だし、夕飯の買い出しをどうするかと彼に問いかけたのだが

てきとーにやるよ、との事だったので

わたしはわたしで惣菜で済ませた。

 

明日から連休。

ごはんどうするの?と問いかける役目も

降りてしまおうか。

お互いオトナなんだし。

どうするもこうするも好きすりゃいいんだし。

 

もともとエネルギーチャージタイムでしか

なくなっていたんだし。