★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

いちばん近くて遠いひと36

彼が寒空の中、バイトから帰ってきたとき

わたしは風呂を済ませベッドに半身を起こして下半身に布団を掛け、スマホを触っている。

 

おかえり、と、小さく声をかけると

わたしよりも小さく、はぃ、と返ってくる。

 

夜の部で働かず、まったりしてばかりいて

ごめんなさい、と、少し思い、

反面で

その分、昼間の営業の給与が安定するように

夕方も週末も駆け回り、

合間を見つけては彼の自営の仕事を覚えようと

しているのだから、いいんじゃない?とも思う。

 

ただ、1日の後半をまったり過ごすわたしが

夜遅くに帰る彼に汚れ物を洗ってもらうのは

やはり居心地が悪すぎるので

洗濯は朝、わたしがやるから、と申し出てみた。

反発されることもなく、洗濯係を引き受けることが出来た。

 

わたしがいま、彼を想い、彼のために、と

していることは、ごくわずか。

 

❶飲むであろうタイミングをはかり、コーヒーを淹れること。

➋朝、先に起きて、寝ている彼にキスをして頬ずりをして、その日1日の労いを先にすること。

➌彼が話さないことについて

文句を言ったり咎めたりしないこと。

 

ご飯をつくったり

前のように毎日耳掃除をしたり

にこやかに笑いかけたり

抱きしめたり

そういった、

わたしか大事だと思ってきたことは

なんにもしていない。

 

彼がそれらについて、どう考えているのか

知らなくてはならないとは思えない。

 

必要最低の会話だけで毎日を過ごし

仕事に追われて

各々のモヤモヤは各々で処理する。

相談することもないかわりに

助けを求めることもない。

 

彼がわたしに話しかける事といえば

仕事の手助けが必要な日時と

仕事上の、わたしの問いかけに対する返事。

 

ひとたび話し始めると

堰を切ったように止め処なく話し続ける、あの饒舌な、よく笑う彼を求めたら

わたしを叱り罵り、ときに手を上げ、

声を荒げ、わたしから強さを奪うあの彼も

もれなくセットでついてくる。

 

彼のなかの、半分だけをください、と

求めることは、とても傲慢で勝手な思いなのだろう。

 

年上なのに、なぜ貴方はそんななのか、と

幾度となく言われてきた。

年上を発揮しようとするならば

わたしは強くあらねばならない。

 

少しのことで動揺したり、騒いだり、怒りに任せて投げやりな言い方をしたり、

必死になりすぎてはいけない。

 

彼もまた、わたしのなかの1部分だけを

欲していたように思う。

わたしの場合はきっと、残りの大半が

彼にとっては要らないところだったのだろう。

 

プリンでいうなら

カップの底にすこうしある、カラメルかな。

上からは見えない。

ひっくり返してお皿に盛り付けても

ごくわずか。

 

カラメルソースのない部分だって

おいしい。

けど。

カラメルだけが好きなひとにとっては

他の部分は無駄にお腹を膨らませるだけの

余計なもの。

 

 

明日も彼より先に起きて

寝顔にキスをする。

 

カップのなかをかき混ぜて、カラメルが

プリン全体にゆきわたるよう

ぐちゃぐちゃになったわたしのキスは

薄まったカラメル味くらいにはなると思って。