★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

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2月以前の彼と、以後の彼は

バージョンが違うのだと思うと

しっくりくる。

 

旧バージョンは

きちんと目を見て話し、饒舌で、でも

わたしの芯のなかにある隠した部分を

見極めてやろうとする粘り気のある目を持ち、

わたしの不用意な発言を集めては眺め、

深い溜息をつきながら

畳んで胸ポケットに差し込むような、

そういう型式。

旧バージョン彼は、テレビや、わたしから聞いた噂話を酒の肴にしては、とり憑かれたように話し続けた。

それはわたしに語っているというよりも

自身の言葉を口に出すことで、確信に変えてゆく作業のようなもの。

だから、意見や感想を求めていない。

彼は気づいていなかったのだろうけれど

ずっとわたし達は語り合ってはこなかった。

語り手と聞き手をしていただけなのだ。

読みたい本があっても、検索したいワードがあっても、ご飯を食べるにはまだお腹が減っていなくても、

彼の様子を見ては、本を閉じ、スマホを伏せ、

ご飯の支度に取り掛かり、

おかしいな、こんな筈ではなかったのに、と

時折ちいさく気持ちが堕ちていった。

 

今のバージョンになってからというもの

極端に自分の時間が出来た。

バージョンアップだ。

しかも、赤ちゃんがある日を境に中学生になったような段階越えの。

新機能を試すように

少々戸惑いながらも、数時間ひとりで

出かけてみたり、彼を視界から外して、読まねば死ぬのか、というほどに本を借りては返しを繰り返してみたりしたのだが、

旧バージョンからの移行は改善点ばかりのようにみえて、その実、わたしは圧を感じるようになった。

わたしは、圧からすこしでも逃れようと、

頼まれてもいないのに

夜のバイト前に眠る彼より時間的猶予があるのだから、と勝手に夕飯を差し出すようになった。

美味しいも不味いもなく餌のように食べる彼を

いやだな、とも、ムカつくな、でもなく

食事って無心無言で食べた方が消化に良さそうな気がする、とさえ思うようになってきた。

さみしくないか、といえば、やはりさみしい。

けれど

欲しがるほどには愛情を与えられなかった赤ん坊が、成長したならこうなるのもやむなしか、とも思う。

わたしは、無償で赤ちゃん彼を抱きしめて安心をあげられなかった。

怖くない場所だよ、と教えてあげられなかった。

むずがる赤ちゃん彼に手を焼いて

自分が赤ちゃん彼の犠牲になっているんだ、

こんなにしんどいのに、どうして悪い母親だと

泣き喚いて責めてくるんだ!と抗議し続けた。

 

時の流れが彼を新バージョンにしたのだから

旧バージョンに戻ることはない。

何度やり直したところで

彼は新バージョンへと移行するだろう。

 

夜泣きせず、穏やかに微笑み、オムツは自分で替えて、吐かずに上手にミルクを飲み、

抱きしめたいときにおとなしく抱かれ

同じタイミングで眠る

そんな赤ちゃんが良かった、と、望んだということらしい。

 

次のバージョンで彼は

高校生になるのだろうか。

その頃には母親は、居て当然ながらも

居なくてさほど不都合のない存在になるのだろう。

 

いまいちど

子を捨てる

鬼に化すとしたら

わたしがなにを望むのか

自分にすらわからなくなるだろう。