★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

ウワノソラのクミコ

すこし気分が下がってきている。

 

幼少の頃から

なにかが足らず、そのなにかに飢えていると感じていた。

 

気のいい母は、成金一家の長女で、

男尊女卑代表みたいな父親の一存によって

学を与えられなかった。

代わりに良妻賢母であるべく躾けられたわけでもない。 

世情や常識に疎く、自己顕示欲もない。

周りの意図に流されて父の元へ嫁いだ。

 

祖母が、ざっくりとした性格だったからか

母の家事はだいたいにおいて雑だった。

こじんまりした洋風の家は、外観はかわいらしくつくられていたのだが、なかみはひどい有様だった。

母は清潔不潔の概念らしいものは皆無。

埃やゴミは掃除をして取り払うものだ、という意識がないのか、掃除機をかけたり、窓を拭いたりしたところを見たことがない。

布団は天日干しするものだということや

窓は時に開け放って空気の入れ替えをする、ということや

カーテンは汚れたら洗うということを

誰も母に教えず、母も誰のやり方も見て覚えることなく、誰にも咎められなかったのだ。

 

台所には食器棚やテーブル、調理台、多目的棚があり、5人家族がゆったり座れるくらいのスペースがあったにもかかわらず

置き散らかった買い物袋や、中身が何なのかわからない箱の山で、床は覆い尽くされ、

クネクネ身体を拗らせなければ歩くことすら困難な状況が常。

テーブルの上は汚れた炊飯器や、調味料、本で埋め尽くされて料理した皿を置く場所もない。

 

流しは置きっぱなしのまな板と、絶えず生ゴミが入ったまんまの三角コーナーで半分塞がれ、

横に置いた食器乾燥機はいつも黒ずんでいる。

料理はするのだが、旨味成分が大事だと知らないからなのか、とにかく不味い。

カレーは水っぽくて、しゃらしゃら。  

オムライスはケチャップ味。  

ご飯は、どう炊いていたのか真っ黄色。

 

洗濯だけは毎日していたけれど

きちんとたたむ、所定の場所に収納する、とはいかず、取り込んだら部屋のあちこちに置きっぱなし。

少々の生乾きくらいは気にしない。

 

10歳になるかならないかあたりから

どうやらうちは少しおかしいようだ、と気づき始め、気づいたとたんに我慢ならなくなり、

台所のゴミを束ねて捨てる用意をしたり

物の配置を変えてみたり、テーブルを片付けたりしてみたのだが、何度やっても数日で元どおりになってしまう。

こんな汚らしいのは嫌だと、泣きながら抗議しても、どこ吹く風の母。

経済的余裕はなかった筈なのに、毎日、いくつも買い物袋を下げて帰宅してはゴミ作りに精を出す母。

子供の力で出来ることには限界がある。

母が居るかぎり、この家は綺麗にはならないのだと、諦めたのは10代の終わりだった。

 

こだわりをもったり、自身で考えたり、想像したり、を出来ない母は

ウワノソラで生きているように見えた。

 

会話をしても、こちらの話の内容など

ほとんど聞いていないのがわかる。

うんうん相槌を打ちながら、とんちんかんな返答をして、自分のしたい話を始める。

そうして、その場を都合よく盛り上げるために

普通に嘘をつく。

 

小学校入学前後に祖母を訪ねた時の事。

大きな住宅が立ち並ぶ界隈を抜けて

たどり着いた祖母宅で

 

祖母に向かって母が

ハナコがここへ来る道中、わぁ、お金持ちの家ばかりだねぇ!って言うのょー」

とか言う。

 

え?言ってないし!無言で歩いてきたし!

びっくりして母を見上げ、そんな事言ってない!と声をあげるも、

ニコニコしながら、言ったじゃないー、と

流され、

わたしは、見知らぬ家を見て金持ちと判断し、

羨ましがる貧しい子供、にされてしまった。

 

こんなことは幾度もあり、

いつしか母の事を、言葉の通じない宇宙人のように思うようになった。

 

怒らないから優しい人なのか、といえば

それは違う。

優しさは対象に与えるもの。

母の優しさを感じたことがない。

わたしのことをおもって、話したり、

わたしのことをおもって、なにかをしたり

そういうことはない。

わたしの言動に注意を払い、興味を持つこともない。

からっぽなのだ。

 

それはきっと、母が祖母から受け継いだ

ひとを愛する能力の欠如なのだろう。

 

その母が痴呆になって何年になるだろう。

わたしをみても誰だかわからないし

関心を示す様子もない。

 

嫁という立場でいえば

きっと母の人生は辛いことも多かった。

嫁いだ後に実家の稼業が衰退し、

祖父母は夜逃げ同然で町を出た。

取り残された母に対して、姑である祖母が

きつくあたっていた、と後に知った。

 

忘れたいことがたくさんあったのだろう。

 

けれど

痴呆になってからも、そうじゃないときも

母はわたしからすると

そんなに激変したようには見えない。

 

にこにこしながら

頷きながら、聞いていないし、わかっていない。

 

母がまだ自身を持っていたときに

こころから

楽しく

しあわせだなぁ、と感じる瞬間が

あったのかな、と思う。

 

わたしが知らないだけで

あったのならいいな、とおもう。

 

母は悪い人ではない。

わたしの望む母親ではなかっただけで。