半分閑話休題
近くの図書館に毎週末通っている。
マンガ本5冊と文芸書5冊を借りてくる。
最近システムが新しくなり、選んだ本は
バックに入れてカードと共に筒状ゲートをくぐるだけで貸し出し手続きが完了できる。
前にも借りたような気がしながら手に取ったのは
「夢をかなえるぞう」
ぱらぱらめくると、おっさんチックな関西弁が並んでいたので、なんだか、今の気分を楽にしてくれそうな気がして借りてみた。
いっとき話題になった本なので
なんとなく内容はわかってはいたけれど
あらためて読むとよくできた書物だった。
わりとテキトーかつ、ワガママな、なぜだか関西弁の神さまが、主人公の願いを叶える手助けをすべく、あれこれ指南してゆく、というストーリーなのだが、
わかりやすい比喩をユーモアまじりに、親しみをもって読者に提供する感じだ。
ワガママ神さまが出題する課題は、いくつかあり、
なかには、それならすでに自分はやってる、というものもあれば、
やろうとしたこともない、というものもあり。
いちばんそばにいるひとの
気持ちを推し量り、望まれていることに応えていないわたしには、胸が傷む本だ。
ずっと考えてきた。
彼と最低限の話しかしないままのこの関係を
ストップさせねばならないか、と。
けれど今日
ぞうの本を読んですこし思い直した。
いまのわたしは
彼に意見したり、先々の関係性を提案したり
そんなことができる立場にはいない。
卑屈になるわけではないけれど、事実
わたしは、いま、ここに住まわせてもらっている、のだ。
彼の名で契約したこの部屋で
借り暮らしの身でありながら
あれが嫌だコレが嫌だ、ふたりの関係性が
こんなでは嫌だ、を、言える立場にいるのは
彼だけだ。
わたしの方からこの先動くとすればそれは
彼が出てけ、と言ったときか、
もしくは
わたしがつらくなり、出てゆきたいと思ったとき、の、ふたつのどちらか。
食事くらいはいっしょにどう?と言えるのは
彼の仕事を覚えた頃だろうか。
彼の仕事を覚えて不測の事態に備える要員となったら、
暮らしの基盤を支えるための数割は
負担している、と言えるのだろうから。