★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

いちばん近くて遠いひと60

いっしょに暮らし始めたときに、

彼に対してだけは正直でいなくてはならないと思っていた。

 

先々の生きている時間を憂い、無気力に人生を渡ってきた彼が、一世一代の覚悟を持って

自分の意思で動き、ふたりになるための準備をしたのだ、と幾度も口にするから

そんな彼を報いるに、嘘つきハナコはあなたにだけは真実だけで向き合うよ、と密かに誓ったのだ。

 

ほんの数年前の誓いはすでに破られている。

 

正直でいよう、と、

あった出来事や感じたことを、

着色したり、消しゴムで消したりすることなく、

はい、と、掌に乗せて差し出してみせる事が

わたしにすれば最上級の信頼の証だというのに、

差し出された側の彼ときたら、掌にのったものを

一瞥するなり険しい顔をしてわたしを責め立てるのだ。

その行動はいけない。その考え方はおかしい。

ハナコはそんなだからダメなんだ。

 

反発を繰り返した挙げ句に、わたしは

正直でいる事が起こす弊害の大きさと

誓いを破って平穏を保つことを天秤にかけ、

あっさり後者を選択したのだ。

 

わたしが出来た人間でないのは百も承知だ。

ぱっと見、まじめに見えるらしい平凡な容姿に救われてどうにか生きてきたけれど

ちゃらんぽらんで自分に甘く、無い袖を振りたがるお馬鹿っぷりは今更なおらない。

誰かが救いを求めてきたら迅速に対応しようと努めるし、そうできる自分が好きだ。

彼は、ハナコは僕にはくれないものを他者に必死にあげようとする、と言う。

 

たとえば友人が、明日をも凌ないほどに困窮した、と訴えてきたら

自身が1万円しか持っていなくとも

とりあえず、と半分渡し、こんなことで

気に病んではならないよ、と励まし

先々の事をいっしょに考えようとする。

彼も同じだろうと思っていた。

 

彼は違う。

友人がそんな状況に陥った原因をまず考えようとする。

そうして長い時間かけて

彼のベストだとする解決策を提示する。

お金を渡すとしたら、返済に期待しない、としながらも一応の期日を与え、

救済しない、としても、その理由を訥々と述べるだろう。

 

飲み水に飢えたひとに

まずはひとすくいの水を与え、共に考える。

順序として正しいのはわたしのやりかただ、と

わたしはおもう。

ただ、それは自分に甘い分、他人にも甘い、わたしの性分だ。

 

彼は誰にも頼らなくて済むように生きてきた。

そんな彼からすれば

他人に頼る事態に陥る事がすでにおかしい、となるわけで。

まっとうな考えだとそれは理解できる。

 

ならあなたは何故わたしを選んだのだ、と

考える。

彼と同じように考え、生きてきたわたしなら

無謀に動いて彼といっしょになったりしない。

彼はわたしを更生させようとしてきたように思う。

 

ルールを与え、破ると罰則を与え、

反発すれば黙るまで打ち据え

彼の思う、まっとうに生きるわたし、を

仕上げようとしてきたように思えるのだ。

わたしがそれを求めていまいが関係なく。

 

最後の諍いの終わり間近で

怒りの炎が燻り消え切らないなか、

彼が、2人しかしらないエピソードを持ち出して、わたしについて語った。

 

給与の8割を彼に渡していたころ、

職場の同僚から、好きなキャラクターの貯金箱をもらった。

ふたりで500円玉貯金をしよう、となった。

ひとつきの手持ちがわずかで、

昼の営業の活動費や、交際費を払って、たえずピンチだったわたしは、

それでもお金が足らない、と彼に言えなかった。

言えばどうなるか、さんざ繰り返してきて学習済みだったからだ。

月末の数日は本当に厳しくて、千円札が貴重だった。

そんなことはつゆ知らず、か、なにげに、買い物ついでにビールを買っておいて、と頼んでくる彼。

次の給与までの日数を計算しながら、立て替えたビール代を彼がわたしに返し忘れた場合でも

凌げるか、とっさに計算するようなふうだった。

どうしても足らなくなったとき、

惨めさを吹き飛ばすように

わたしは不二子ちゃんだからぁ、と嘯きながら

貯金箱に手を伸ばし、貯めた500円を抜いては戻し、を繰り返していた。

あるとき、彼にそれがバレ、貯金箱は撤去されてしまった。

 

彼は言う。

ハナコは笑いながらヒトの想いを盗んだのだ、と。

単にお金を盗んだのではない。

貯まったらなにをしようかな、という

想いを盗んだのだ、と。

 

酷い言われようである。

ふたり暮らしのなかで貧富の差に喘ぎ、

ほしいです、足らないです、と言わせてもらえず

働いていようが、大半を上納し、

彼の気分と采配によって衣類や雑貨を買い与えられ、

文句も言わず従って、

惨めな思いで貯金箱を漁るわたしを

非道な窃盗犯だと言ってのけるのだ。

 

何発も頭を打ち据え、痛みに朦朧とするわたしに、

身体だけでは物足らないとばかりに

メンタルまで痛めつけようとしたのだ。

 

反撃する気力すらなく、黙って聞いて終えてしまったから

だから

いまだ

彼と元に戻れる気がしないのだ。

 

あの日わたしたちは

超えてはならないラインに到達し

超えてしまったのだろう。

 

彼は理解しているだろうか。

わたしは彼を非難はするが、

人間性について否定はしない。

 

ながびく在宅勤務。

すこし疲れがでてきたようだ。