★ひとファイル★

馴染んだ、親しんだ、愛した、嫌った、わたしが出会ったひと達のお話

いちばん遠くて近いひと11

真夜中。

隣室から長い時間彼が立てる物音。

怖さに耐えかねて

ともかくこの場を離れようと決める。

静かにパジャマを脱ぎ

いつものデニムとパーカーに着替え

お尻のポケットに財布と携帯を差し込む。

タブレットや書類が入った仕事用バッグ、

着替えのスーツ、タイツを小さくたたんでまとめたものを放り込んだ布バッグ

コンタクトや化粧品を入れた小さなトート。

みっつのバッグを提げて

そっと部屋を出た。

カウンターキッキンの中に彼は立ち

黙々と作業を進めていて、こちらに目をやる様子はない。

わたしが手に提げた大荷物は視界に入らないだろう。

いつものように、たばこを切らして買いに行くのだろう、と

思っていることを願いながら鍵を持って玄関を出る。

車に乗り込み助手席にどさっ、と荷物を置いたら

ほー。。っと深い息をつく。

とりあえずは移動しなければ。

田舎道はすでに暗く、街灯もない。

それでもコンビニはすぐそばにある。

まずはコンビニを目指すことにする。

諍いの後の数日間、わたしが物音に過敏になるのは

致し方ない事だとおもうのだ。

これまでも思いが行違い煮詰まると

ぶつけどころを求めて、彼はいろんな物を破壊してきた。

グラスや皿、計算機。

仕事用のタブレットを床に幾度も叩きつけ

使い物にならなくされた時は

恐怖と怒りで

わたしのほうがおかしくなりそうになった。

それ以来、自分が家を飛び出すときには必ず

タブレットも避難させることにしている。

コンビニでひとまず落ち着こうと暖かいお茶と

和菓子を買い

食べておわるころに携帯が鳴った。

彼からだ。

やわらかな優しい声。

「どうしたの。どこにいるの。」

コンビニだと伝える。

「にしては遅いね。帰らないの?」

急に感情が昂り始め、自分が

すこしうわずった声になっているのがわかる。

「こわくて」

そう告げたとたんに彼の声色が変わる。

「ならもう、帰らなくていいよ。

怖いんだからだめだね。

怖いんだったら帰らなくていいよ。」

電話が切れる。

ああ。。車生活の始まりを迎えてしまったのか。

ぼー。。っとしていると

ライン通知が待ち受け画面にぽんぽんと軽快に並び始める。

もうかまうな

あなたの世界はここではない

あなたの正しい世界にかえれ

鍵はポストに入れておけ

すきなように自由に生きていけ

いくつもの終わりを告げる言葉が並ぶ。

はじめて聞くフレーズはない

これまで幾度、ほんとうにいったい幾度

こういった言葉を浴びてきたことだろう。

さらに

玄関はロックしておくからもう入れないという

ラインが入る。

いまからあなたは全力で僕から逃げろ

すぐさま逃げろ

考える余地を与えないぞ、とばかりの連続ライン。

すこし深く息を吐いてみる。

そうしてたばこを吸いながら目を閉じ思い返す。

部屋を出るときに見たキッチンに壊れたものは何もなかった。

ただ、食器の棚がさみしいくらいにすっきりしていた。

最低限のもの以外を処分していたのだろう。

リビングは

これまで集めたミニフィギアなどのごちゃごちゃした

装飾品が無くなっていた。

わたしと同じようにまた彼も

彼とだけ口がきけなくなったわたしをみて

恐怖心と戦っていたのだろうと想像する。

真夜中にソワソワするそのおもいを払拭せんと

何かに集中したい、それが目にとまる不用品の廃棄だったのだろう。

彼のそういった

おかしげな行動には理由があることを

彼自身から聞いてわたしはしっている。

にもかかわらず

わたしが彼のことを

異常なひとだと、慄いたと彼は思ったのだ。

さて

どうしようか

あと1本吸いおわるまでに決めよう。

たったの1本吸いおわるまでに。

今を。

この先を。

これからのうんと先の先を。